功利主義の観点からはアリ(OK)なのか? – ナガテユカ ギフト±

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日本文芸社 (2015-07-18)

読んでてジョン=ハリスの臓器くじが思い浮かびました。本作では当たり(ハズレか?)の対象がもっと恣意的に決められていて、更生不可能(と思われる)な犯罪者をピックアップし、【解体】して、臓器を含む人体の頭の天辺からつま先までを必要としている人達に【再分配】しているわけですが。(需要と供給のマッチングというやつです。)

複数人を助ける(助かる)ために一人を殺すのはOKなのか?という問題提起。

 

殺すまではいかないまでも、何かしらの犠牲を積極的なり消極的なりに少数に課して社会全体の厚生(利益)を最大化させるのは有りや無しや?と言うことです。会社でのリストラというか首切りだとか、NIMBY-Not In My Back Yard-な施設(産廃施設とか、原発だとか、基地とか)をどうするのとか、災害や紛争におけるトリアージだとか、超絶ブラック3Kな職場だとか。税金もそう。

対象は人じゃないけど投資における損切りも当てはまるのかも?

 

よくよく考えるとそう言った場面ってまあそれなりにというかかなりの頻度で遭遇しますね。意識せず、あるいは意識して見ないようにするわけですが。

 

功利主義(≒全体の利益)と言う観点からするとアリ(OK)・・・(毛髪はかつらになるし、皮膚や内臓は移植に使えるし、骨は標本になるしで多くの人の需要を満たすことがで出来る。)

 

と言う結論が出たりするわけですが、個人主義(≒個の利益)の観点からすると、是々非々。(利益を享受する人もいれば損を被る人もいます。)

 

もしも自分が損を被る立場だったとしたら、とか考えてしまうと(考えたくない)安易に結論は出せない問題なのではないでしょうか?イロイロと考えさせられました。

 

劇中で無邪気に全体の利益を正義の御旗にする主人公とその背後にいるヤカラもまた紛うことなきサイコパスの更生不可能な犯罪者であって、クライマックスでは公権力なり敵対する反社会的勢力から制裁を受けることになるであろう結末が容易に想像できて、作者がどうストーリーを展開させていくのか気になる所です。

 

あとJK(主人公含む)のパンチラも人によっては見どころなのかもしれません。

 

臓器移植・売買だとかJKビジネスだとか、需給のマッチングが限りなく真っ黒な事象をテーマにした本作はなかなか読み応えがあります。

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